前回は、自己紹介を兼ねて筆者のプロフィールを中心に書かせていただきました。今回はもう少しだけ若かりし古き良き(?)時代の話にお付き合いください。ブログを続けるにあたり色々考えていると(ちょっとえらそうに言わせてもらえれば)、筆者の研究やビジネスの源が機器や装置開発に軸足があるのではなく、「ケミストリー」にあること(と自分では思いこんでいます)を明らかにしておいた方が、「装置を語るのに化学式や化学反応式を頻繁に持ちだす」その理由をご理解いただけるのではないかと思う次第です。
時をさかのぼること約半世紀、筆者は1978年(昭和53年)4月から岡山大学理学部化学科の分析化学研究室に配属になり、いっちょ前に研究をスタートさせました。当時の大学の研究室としては我が分析化学研究室は典型的な体制で、教授、助教授、助手、技官の先生方がそれぞれいて、そこに配属になった新4年生はなんと3人でした。修士課程の大学院生の先輩が数名いましたが、先生方の数に対して学生の数は少なく、学生にとっては先生を独り占めできるぜいたくな環境だったと言えます。当時の岡山大学理学部分析化学研究室のボスは桐栄恭二教授で、ご研究の分野はキレート試薬やイオン会合性試薬などの新規有機試薬の開発、GC/ECD(機器分析)による極微量セレンの定量をはじめ多岐にわたり、晩年は筆者も導かれたフローインジェクション分析(FIA)の分野でも日本でいち早く研究をスタートさせた方です。
さて、私に与えられたテーマ(自らテーマを考えることは当然のように当時はできず“与えられたテーマ”が正しい)は、“陰イオン界面活性剤の定量試薬の開発・合成とその応用”でした。当時、河川や湖沼などの洗剤による発泡が環境問題の一つとして取り上げられていました。いわゆる合成洗剤の当時の主成分が陰イオン界面活性剤であって、より正確、高感度に定量できる方法を開発しようとするもので、そのアプローチが定量試薬としての新規陽イオン染料の開発でした。陰イオン界面活性剤は、陽イオン染料との反応によって生成するイオン会合体を有機溶媒に抽出して、有機相の吸光度を測定する方法で定量します(図1に概略を説明)。

当時(今もって)、陽イオン染料としてはメチレンブルー、抽出溶媒はクロロホルムがJIS K0102に規定されて公定法として一般的に利用されていましたが、メチレンブルーは試薬として不安定で、クロロホルムも人体への有害性が指摘されていました。従って、安定でかつモル吸光係数が大きくトルエンなどのより有害性の少ない有機溶媒に抽出できる新規陽イオン染料の開発・合成が課題でした。幸か不幸か、筆者の研究は脈々と続いた先輩方の研究を引き継いだ形で、ある程度、的(まと)が絞られた状態でスタートが切れました。ただし、「いいかげんに誰かまとめろよ」という時期でもあり、少しだけ責任は感じていました。
陽イオン染料の開発にあたり最も重要なコンセプト“良いイオン会合性試薬の条件”は次ににまとめた3点です。これは常に桐栄先生が口癖のように唱えられていて、筆者たち学生もいつでもどこでも大きな声で言えました(笑)。
良いイオン会合性試薬となる条件
- 1価であること
- 分子が大きいこと
- 分子内に電荷が分散していること(Charged Quinone)
筆者らは、開発を目指す陽イオン染料の基本骨格として化合物自体が安定で比較的モル吸光係数の大きなアゾ化合物に注目して設計と合成を行いました。そして、合成した試薬についてはそれぞれ陰イオン界面活性剤定量に関する分析化学的検討も加えて選定していきました。その中で最適と判断し、実試料にも応用した陽イオン染料が図2に示すものです。分子は比較的大きく、1価で、電荷が分散していることがわかります。4年生のうちにこの研究成果は分析化学誌に投稿して掲載されました。4年生ですでに論文が1報アクセプトされたなんてラッキー!と調子に乗ったところで、アゾ構造を持つという基本骨格を変えずに、イオン会合性試薬としての機能向上を目指して、とにかく分子を大きくしてやれ!という思考で設計して合成したものが、ベンゼン環をひとつ増やした図3に示す化合物で、幸いにも、これを用いると前者よりもイオン会合体の抽出効率は上昇して、モル吸光係数も多きくなり、クロロベンゼンに抽出できるようになりました。これもすぐに論文にまとめてAnalyst誌に投稿して掲載してもらうことができました。


2つ目の論文を執筆中には大学院(修士課程)に進むことを決めましたので、そこからあと2年、先輩の研究を「引き継いだだけだったね!」とみられないような独自性のある研究に繋げたいとの思いを強くした時期でもありました。桐栄先生はイオン会合体生成反応の分析化学的意義、役割についても言及されていました。それは、①溶媒抽出が可能 ②沈殿を生成する ③メタクロマジーを起こす、の3つで、これも前述の“良いイオン会合性試薬の条件”の3つとともに、私は寝言でもしゃべっていたかもしれません(笑)。さて、①はこれまでの研究課程で分かった。②もテトラフェニルホウ酸塩とカリウムの沈殿生成反応で有名。しかし、「メタクロマジー」って何だろう?知識レベルの低い4年生はじっと当時の研究室の先輩たちの研究テーマを見回しました。朝から晩まで条件を少しずつ変えて地道にイオン会合定数を測定している大学院生、この先輩の実験力と忍耐力には頭が下がりました。おかげで前述の図3の化合物の設計とイオン会合体抽出効率の向上を定量的に判断できました。また、ある女性の先輩が“コロイド滴定”なる研究をされていました。コロイド滴定とは高分子電解質の簡便な定量法で、これもイオン会合反応を利用するものです。滴定ですので終点を検知する方法にいくつか手法があり、その一つに指示薬を用いる方法があります。その指示薬がトルイジンブルーで、メチレンブルー骨格を持つ1価の陽イオン染料であることがわかりました。「そうか、ちょっと待てよ!」、 試料中に存在する高分子陽イオンを高分子陰イオン(例えばポリビニル硫酸)で滴定していくと終点を過ぎるその時にトルイジンブルーとポリビニル硫酸とのイオン会合体生成が起こると同時にトルイジンブルーが青色から赤紫色に変色します。このイオン会合体生成による指示薬の変色が“メタクロマジー”であるということに行き着きました。さらに目を広げるとメタクロマジーは、陽イオン染料が高分子性陰イオンと反応して染色する現象でもあり、クーマシーブリリアントブルー(陽イオン染料)とアルブミンなどのたんぱく質の塩基性アミノ酸残基と反応して変色を起こすことも有名で、たまたま実験室の薬品棚にあったクーマシーブリリアントブルーを使って試験管で液を混合してみると赤褐色から青色に変色しました。これが筆者の次の研究、仮題「メタクロマジーを起こす陽イオン染料の開発と陰イオン界面活性剤の定量への応用」の新たなスタートとなりました。
こう書いていくと筆者の研究のプロセスはいたって順調に見えますよね。しかし、実はこの前後には大事件が勃発していたのです。筆者の2つの論文が採択されて若干有頂天になっていた頃、同じ研究室の本水昌二先生(当時は助手で、筆者が学位をいただいた現在のボス)もイオン会合性試薬についての研究を別の視点から進めていて、いくつかの市販のトリフェニルメタン系陽イオン染料のイオン会合性について検討された結果、エチルバイオレットは感度が高く、陰イオン界面活性剤とのイオン会合体は無極性有機溶媒に分類されるトルエンに抽出できることを見出しました。このことは当時(も今も)公定法で使用されているメチレンブルー/クロロホルム抽出法に比べて単に有機溶媒の安全性の向上が強調されるばかりでなく、実試料の分析においてイオン会合体抽出時に極性の高い物質は極性の高いクロロホルムのような有機溶媒には抽出されてしまう妨害を除去できるという化学的にも優位な機能を持つ定量法と言え、即刻、Analytical Chemistryに投稿されて採択されました。当時、桐栄先生は、エチルバイオレットのことを「幸せの青い鳥は意外にもこんなに身近にあった」と評されるほど素晴らしい発見であったことに間違いはなく、それとは裏腹に筆者の陰イオン界面活性剤の定量法の開発研究にとてつもない暗雲が立ち込めてきたのはご想像いただけると思います。一瞬、完全なる敗北感を身内から味あわされるとは、化学の世界は厳しいと現実を知ることになりました。
しかし、「土佐のいごっそうはあきらめなかった」と言えばかっこいいが、若干ネガティブな思考ながら、筆者の研究は“メタクロマジー”へと導かれたのでした。 このまま、一気に書き続けようとも思いましたが、ちょっと長くなってしまいましたのでここらで小休止として、あと1回分、次回も50年前の私の若かりし研究者の卵になろうとする話にお付き合いくださいね。
【参考文献】
樋口慶郎、門家重治、下石靖昭、宮田晴夫、桐栄恭二、分析化学、 29、 180(1980).
K. Higuchi、 Y. Shimoishi、 H. Miyata、 K. Toei、 Analtst、 105、 768(1980).
S. Motomizu、 S. Fujiwara、 A. Fujiwara、 K. Toei、 Anal. Chem.、 54、 392(1982).
